
1. はじめに
生成AIは今、単なる業務効率化ツールを超え、「働き方そのもの」を再設計する段階に入りつつあります。
西日本旅客鉄道株式会社(JR西日本)様では、将来的な「人と生成AIがそれぞれの得意領域で活躍し、協働する働き方」の実現を目指しています。この未来を見据えたファーストステップとして、まずはデジタルソリューション本部が先陣を切り、日常業務に生成AIをクイックかつ組織的に溶け込ませる取り組みを開始しました。目的は、日々の実務における手元のペイン(課題)を解消し、人間がより創造的な業務へリソースを注力できる協働体制を構築すること。このビジョンのもと、「生成AIを活用した働き方変革プロジェクト」を始動させました。
本記事では、同プロジェクトの背景と狙い、実際の業務での活用事例、そしてAI協働を全社展開していく上で見えてきた課題と展望についてご紹介します。
2. プロジェクトの背景 ― なぜ「デジ本から」始めたのか
本プロジェクトの出発点は、
「生成AIを前提に、業務のあり方そのものを変えたい」
という明確な問題意識でした。
これまで多くの業務では、
- 単純な繰り返し作業などのノンコア業務に時間が奪われる
- 属人化による品質のばらつき
- 「AIは使ってみたが、結局一部の人しか使わない」
といった課題が顕在化していました。
そこでJR西日本では、まずデジタルソリューション本部(デジ本)自らが実験場となり、
- ノンコアタスクへのクイックなAI適用
- Human in the loop(人が最終判断を担う設計)
- ルールの遵守と業務スピードの加速の両立
を前提に、生成AIを業務の一部とする活動を段階的に進めました。
その第一弾として、テーマ選定からAIエージェントの構築・検証・展開までを、わずか2か月の間で一気通貫して行うプロジェクトが始動しました。JR西日本と、データ利活用をはじめDXに強みを持つJR西日本のグループ会社TRAILBLAZER、そしてその技術支援としてMicrosoftが加わった体制で、強力に推進されました。

3. 生成AIで取り組むテーマの見極め
本プロジェクトの成功の要因は、「『短期間で効果が最大限に出せるもの』を関係者間で洗い出して合意することだった」と、TRAILBLAZERの村山さんは語ります。生成AIの活用を検討する際、「何ができるか」から議論を始めてしまうケースは少なくありません。しかし本プロジェクトでは、まず“技術ありき”ではなく、「実務のどこに一番ムダやボトルネックがあるのか」「改善によって、誰の、どのような業務負担が軽減されるのか」といった業務起点の対話を重ねることからスタートしました。
そして重視したのは、
- 数週間〜数か月で成果が可視化され、実務者が確かな手応えを得られること
- 業務フローが比較的シンプルで、人とAIの役割分担を設計しやすいこと
- 一部の専門業務のみへの適用に留まらず、将来的な横展開が見込めること
といった観点です。
生成AIは万能ではありません。だからこそ「100点を狙うテーマ」ではなく、「まずは70点でも価値が出るテーマ」を選ぶことが、結果として実務担当者の納得感やスピード感につながりました。実際、初期テーマで一定の成果を出せたことで、「次はこの業務にも使えるのではないか」というポジティブな連鎖が自然と生まれていきました。
また、テーマ選定の段階からメンバーを巻き込んだことも重要なポイントでした。
当初は、「AIの使い方のイメージが湧かない」「どう実務のワークフローに組み込めばいいか分からない」といった戸惑いがありました。さらに、業務変革への高いハードルを感じたり、生成AIを単なる単純業務の置き換えツールと捉えていたことで、効果を低く見積もってしまう傾向も見られました。しかし、プロジェクトを共にする中で、それらの戸惑いは徐々に解消され、生成AIは“自分たちの日常業務の負担を取り除くツール”として前向きに再定義されていったのです。
村山さんはこう振り返ります。
「生成AIの導入において本当に難しいのは、技術的なことではなく、業務に携わるメンバーが抱く『業務への想い』を丁寧に汲み取ること。その想いに寄り添って初めて、AIが真に輝く場所が見えてくるのだと思います」
担当者の意見を尊重した業務ヒアリングによって「業務への想い」を汲み取り、AIが最も輝く場所を特定する。そのうえで、AIが真に機能する領域を見極めることで、担当者の想いを「コア業務への注力」という具体的な価値へ変換していきました。生成AI活用を成功させる鍵は、最先端のユースケースを追いかけることだけではありません。自社の業務と真正面から向き合い、「どこなら一番早く、意味のある変化を起こせるか」を見極めること。その積み重ねこそが、生成AIを“特別な取り組み”から“日常の業務パートナー”へと変えていくのです。
4. 各部署で進む具体的なAI活用事例
本プロジェクトでは、わずか2か月の間に総勢11個のAIエージェントが各部門主導で構築されました。ここでは、その中でも5つの代表事例を紹介します。
4.1訪問営業前における事前準備フローの省力化
営業活動における商談前のターゲットリサーチや、提案の方向性策定といった事前準備は、多くの時間と労力を要する業務でした。 この課題を解決するため、事前準備フローを効率化・自動化するAIエージェントが導入されました。
Web上の公開情報や関連データを自動収集し、ターゲットのニーズや課題を整理
収集したデータに基づき、最適な提案アプローチや訴求軸を提示
提案に向けた構成案や初期ドラフトを短時間で生成
その結果、事前準備から資料の骨子作成までにかかる時間は従来の約1/3に短縮されました。リサーチなどのインプット業務をAIで効率化することで、営業担当者は商談の勝ち筋を決める「思考と判断」に集中できるようになり、提案の質の向上に繋がっています。

4.2 社内庶務・経理業務の自動化
少額備品購入や請求書処理などの庶務業務にも、生成AIが適用されました。
- 物品要求票の自動チェック
- PDF請求書からの項目抽出・集計
- ExcelやPower Appsとの連携
これにより、年間で数十時間単位の工数削減が見込まれ、
単なる省力化にとどまらず、「業務の標準化」「ミスの削減」も実現しています。

4.3 ナレッジ回答AIエージェントの実装
勤怠や旅費申請、福利厚生、システム周りなど、重要かつ複雑な質問が社内から日々寄せられるため、社内マニュアルを参照して、回答を返すAIエージェントが作成されました。
これにより、年間約300時間の問い合わせ業務の削減が見込まれます。今後の展望としては、Teams上での過去のやり取りをナレッジ化してAIの参照元に組み込むことで、ユーザーのニーズに即した、より鮮度の高い回答をリアルタイムに届けられると考えています。

4.4 ブランドレギュレーションチェックツール
JR西日本の交通系ICカード「ICOCA」のマスコットキャラクターである「カモノハシのイコちゃん」関連の施策や、ICOCAビジネスに携わる社員へのヒアリングを通じて、本取り組みの方向性が定義されました。
■ 抱えていた課題: ガイドラインの基準が多岐にわたり、人間の手ですべてを漏れなく網羅して確認・判断することが困難。ノウハウが“個人に閉じた知識や判断”に留まってしまい、組織全体で蓄積・再利用できない構造になっている。
■ 設定したゴール: 膨大な基準の網羅的な参照をAIでサポートし、組織として誰もが再現性をもって対応できる体制を構築する
つまり、問題の本質は単に「作業効率が悪い」ことではなく、組織としての再現性を欠いていた点にありました。
① 業務特性起因:高度で変化の激しい領域
対象となる業務は、専門性が高く、判断に知識と経験を必要とします。加えて、規約やルールの改定頻度が高く、最新の解釈が暗黙知化しやすい傾向があります。
その結果、「内容が複雑で理解が難しい」「気づいたらルールが変わっている」といった状態が常態化していました。
② 知識構造起因:多岐にわたる情報の網羅・理解の難しさ
規約やガイドライン自体は事業分野ごとに体系化されているものの、それらを網羅的に把握して理解することが難しく、特に初任者にとっては学習コストが高い状態です。実務担当者からは、「どの情報を見ればいいのか分からない」「自分の解釈が正しいか自信が持てない」といった声が挙がっていました。
③ 組織・運用起因:「詳しい人に聞く」文化
短期的には「詳しい人に聞く」方が効率的であるため、結果として標準化や仕組み化が後回しになっている状況も見られます。「詳しい人に聞いたほうが早い」
「毎回これで回っているから問題ない」こうした構造が、知識の属人化をさらに強めています。
■ 具体的な業務:ブランドレギュレーションチェック
こうした課題は、具体的な業務にも表れています。
例えば、広告物(デザインやLP)のブランドレギュレーションチェックでは、
- ブランドガイドライン遵守
- 表現リスクの確認
- 修正対応
といった複数の観点をもとに品質を担保する必要があります。
さらに参照すべき資料として、多数のドキュメントが存在しています。
この状況では、判断の質はどうしても個人の経験に依存せざるを得ません。
こうした課題を解決するための第一歩として、まずは「ブランドレギュレーションチェックツール」を作成しました。これにより、確認作業を一作業あたり15分から5分に短縮することができ、組織としての標準化に向けた確かな手応えを得ることができました。今後は、広告代理店とのコミュニケーションのスピードアップにも寄与していくことが期待されます。

4.5 WESTERモールの出店申請・商品登録チェック業務のサポート
JR西日本が運営するECサイトWESTERモールでは、多くの店舗が加盟し、日々新しい商品が出品されています。そこで、店舗様が登録した商品・店舗情報の目視確認や審査にかかる時間を短縮し、より早く消費者へ商品情報を届けるため、出店申請と商品登録のチェック業務を担うAIエージェントを構築しました。これにより、一店舗あたり約1時間の工数削減が見込まれます。今後は、出店者から登録通知を受け取るとエージェントが自動的に動き出す業務フローの構築や、巡回・監視の自動化、店舗様自身が事前にエージェントを利用するセルフチェックなどの構想があります。

5. 定量・定性的な成果
プロジェクト全体として、以下の成果が確認されています。
- 業務削減時間:約7,000時間
本プロジェクトがもたらした本当の価値は、数字だけに留まりません。AIに対する捉え方が「便利なツール」から「日常の業務パートナー」へと変化したこと。そして何より、この実践を通じて、メンバーの中に「生成AIを活用して自らの手で業務変革を推進していく視点」が養われたことこそが、今回の取り組みにおける最大の資産といえます。
6. AI協働の輪を広げる体験展示会
AIを使った取り組みを全社へ横展開するべく、構築したAIエージェントを直接触って体感できる展示会を開催しました。狙いは、日常業務における活用のハードルを下げ、「これなら自分たちもできそうだと実感をもってもらう」という当事者意識を持ってもらうことです。当日は約200名の社員が来場。実際にAIエージェントの動きを体感する中で活用のイメージが具体化し、「自部署でも取り入れたい」との声が多数寄せられました。実務変革を自分ごととして捉える契機となり、全社展開のスピードを加速させる確かな足がかりとなりました。
7. 全社展開に立ちはだかる2つの課題
一方で、全社展開に向けては明確な課題も見えてきました。
- 組織の課題
部署ごとにフォーマットが異なり、データが点在している
- ガバナンスの課題
セキュリティ要件と業務スピードのジレンマ
これらはツール導入だけでは解消できず、組織文化や意識のアップデートが不可欠です。そこで、まず一つひとつの案件における業務プロセスを細かく分解し、どこが課題か、どうすれば解決できるかを、実務担当者との対話を通じて丁寧に確認するアプローチを採用しました。この密なコミュニケーションを通じて成功事例を実証的に積み重ね、課題解決の手法を「パッケージ化」していくプロセスを踏むことにしたのです。この着実な検証フェーズを経た上で、さらなる横展開に向けて、成功事例を全社に配布する「アプリのカタログ方式」への移行や、実務者が自ら改善を続けられる「市民開発コミュニティ」の創設を計画しています。
8. おわりに ― AI協働を“全体最適”へ
JR西日本グループにおける本取り組みは、
「AIで仕事を楽にする」ことが目的ではありません。
- AIに任せる
- 人が考える
- 生まれた時間を、次の価値創造に使う
この循環を組織として回し続けることこそが、真のDXだと考えています。
生成AIと人が協働する働き方は、各業務における試行と実践を通じて、少しずつ形になりつつあります。